Honda Racing [自動車レース]
久々の投稿です。
特に理由は無く、書く気しなかったんですよね。
今日は早く帰ってきたので、なんとなく書いてみる。
私がレースをレースだと認識して自分から積極的に観始めたのは、14歳(中2)の夏ぐらいから。
レースと言えばF1だったので、日曜深夜に眠い目をこすりながら、見ていたもんです。
この頃は一月2000円の小遣いで980円(記憶によると・・・)のF1グランプリ特集を毎月買っていた。
時々F速やAUTOSPORT買ってみたりね。(かわいくないガキだった)
中2だと1993年だったので、もうこの頃はHondaの勝ちまくっていた頃は過ぎていてハイテクマシンWilliams全盛期。
でも、F1ブームにガキながらも乗っていたので、日本GPやモナコGPは観ていたし、フジテレビのプロ野球ニュースで速報はチェックしてた。
そんな僕にとって80年代後半から90年代前半にかけて栄華を極めたHondaとA.セナは特別な存在だった。
1992年のモナコGP燃えたなぁ。
「ここはモナコ、モンテカルロ!絶対に抜けない!」ってね。
http://www.youtube.com/watch?v=6y5caS8GdRo
McLARENの車体脇に書かれている「Powerd by HONDA」は憧れだった。
免許を取ったらHondaの車に絶対乗るんだ!と誓ったものでした。
で、Honda撤退、A.セナが亡くなった後もF1を観続け、大学に入ってちょっとしたことがきっかけミニバイクレースをはじめる。その頃からF1よりもWGP(今のMotoGP)を見ることが多くなった。
そこで勝ちまくっていたのが、NSR500+M.ドゥーハンとその他Hondaライダー。
8耐でも勝ちまくるHondaワークス。
Honda Racingのポロシャツやジャンバーを着ているだけで、速くなれた気がしたもんです。
で、今、地球のデザインのHondaのジャンバーなんて恥ずかしくて着れない。
勝てなくても、一生懸命が伝わってくれば応援のしがいもあるもんだけど、F1チームからはやる気さえ感じられない。
結局Honda F1最後のレースになってしまった2008年最終戦ブラジルGPの醜態はなに?
ピットで消化剤まきちらして、国際映像に晒され、レースパルクフェルメでバトンのマシン炎上。
そら、ピットで消化剤まいちゃったから、マシン燃えてても、火を消せないわな・・・。
バトンもバリチェロも明らかに手を抜いている。
あのチームに勝ちたいと思っていた人はいるのか?
下位争いをしている状況に慣れ、日本嫌いのニック・フライと老後のアルバイト感覚のロス・ブラウンが現場の指揮を執るというアウトソーシングも極まったあの状況。
Hondaのパッチに泥を塗った者達の責任は重い。
第3期9年間のF1活動で得たものは?
もう僕があこがれたHondaは無い。
コメント 0