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3.11の地震当日 [日々の出来事]

東日本大震災で亡くなられた方におくやみ申し上げるとともに、被災された方にの一日でも早い震災前の生活への復興を応援します。
僕の稼ぎだとあまり募金も出来ないですが、金銭的応援手段としては、福島にふるさと納税して応援する手段を取ってみます。
ふるさと納税は、クレジットカードだとすごく便利だということがわかりました。


さて、この記事は、私の為の記録と、私の体験を多くの方のこれからの防災の参考になればと思い、書くものです。
津波で家や会社をなくされたり、亡くなった方を思えば、私の体験は被災したうちには入りませんが、自宅と実家がそれぞれ被災地にある者の体験として記しておきます。
読む方によっては、ご気分害されることもあるかもしれませんが、その際はコメント欄でご指摘いただければと思います。


時系列で箇条書きにしている部分が多いので、読みにくいですが、思いつくまま書き連ねていますので、ご了承ください。

3月11日

地震の瞬間は職場で仕事中のことでした。

当日は、私が勤める事業所がISOの定期審査を受ける日だったので、私は部門の審査時間(14時30分~)に備えて、所属長や同僚数名と会議室にいました。

14:40 
前の部門の審査時間が押したのか、審査委員が遅れて到着。
現場を最初に視察したいということで、危険物保管所や医療廃棄物が出るメディカルセンターに向かう。

14:45分過ぎ
駐車場を移動中に目眩か?と思う揺れを感じる。この時点で地震だとは自覚はなく、貧血の目眩かと思い立ち止まる。
同僚の方を振り返ると、「地震だ!」と叫んでいたので、その時点で地震だと自覚する。
立っていると転んでしまうくらいの揺れだったので、しゃがんで、手をついて転倒を防ぐ。
広いアスファルトの駐車場や高い照明灯、ビルが歪んだり、揺れているのが目指できる。
最初は揺れが小さかったものの、だんだん大きくなり、その時間も長かったので、「いつもある茨城県沖の地震ではない」と危機感を感じる。

揺れが収まってから、駐車場や車の中、建物の中に居る人を避難させて、怪我人を確認するために、同僚と分担して声をかける。

走行している車が無かったことと、揺れを感じた時点で、皆広い駐車場に避難してくれていたので、怪我人は無し。
火気取り扱い厳禁の場所だったので、火災も無し。

建物へのダメージがどのくらいかわからなかったので、皆に屋外退避したままで居るように指示。
看護師と救命士の資格のある従業員はほか施設で発生した怪我人に対処するためにメディカルセンターへ。

あるだけの防災無線とトランジスタメガホンを取りに建物の中へ。
この時点で建物全体が停電していることを認識。
非常用放送の回線もダウンしていて、広い敷地内に居る人に対して一斉連絡する手段を失う。
トランジスタメガホンと移動式PA,防災無線で連絡を取りながら全体に対しての連絡をする事に。

エレベーターや電磁ロックの扉は使用不可能。
余震で閉じ込めが起きないように防犯上問題はあるが、建物と外をつなぐ扉は開けっ放しにする。

15:00~
大きい余震が短いスパンで頻発していたので、建物の中には入らずにしばらく屋外に非難してもらう。
無線を使って、各建物の状況や人が閉じ込められていないかどうかの検索を手分けして行う。
時間は掛かったが、人命検索は漏れ無くできたほうだと思う。

路面のアスファルトや建物の一部ににヒビが入ったものの、即倒壊するようなダメージは無し。
だが、直ぐに営業を再開できるレベルではない。
電気は復旧せず。
建物に閉じ込められたり、怪我した人は居ない。

ここで驚くのは、お客様の冷静な反応。
あれだけの揺れだったのにパニックになる人は皆無で、ラジオや携帯電話を使って各々状況把握しよううとしている。

ISOの審査はこの地震で中止になったのだと思っていたが、まだ審査委員(JARIの方です…)が建物の周囲にいて私を手招きしている。
何だ?と思って行ってみると、「現場の視察は済みましたので、書類を確認させてください」と。
アホかと、この状況で審査をしていたとは…。
しかも、この災害時に修羅場になる可能性のあるメディカルセンターを視察していた…。

仕方ないので、余震続く中、建物の中で書類確認をしてもらう。
15分ほど書類をサンプリング調査して、自部門の審査は終了。
これで、今日の審査は終了だな、と思ったが、審査委員は「次は〇〇課ですね」と審査する気満々。
もう呆れてものも言えない。
勝手にしろと審査委員(しつこいですが、JARIの方です)を送り出す。

テレビは使用できないので、カーラジオで状況を確認するが、宮城や岩手の状況が現実のものとは思えない。
まだなにか夢を見ているような感じ。

余震が落ち着いた時点で、お客様には事情を説明して帰宅していただく。
実家が東北地方の従業員も多いが、電話もメールもつながらず、家族とは連絡が取れず、不安な面持ちのひとが多い。

職場では電気が使えず、非常用電源のみ。
水道は出るので、トイレは使用可能。
ガスはプロパンだが、配管が破損していることも考えて安全確認されるまで、使用しない事に。

お客様の帰宅と施設の破損状況が確認されたので、帰宅できる従業員から帰宅することに。

私は実家と自宅が心配だったので、帰宅させてもらうことに。

帰宅寸前に公衆電話から着信。
出てみると弟で、家族は無事であることと、家の屋根が崩れて落ちているとの報告。
だが、電気もガスも水道も使えるし、家の中で生活もできるので問題ないとのこと。

17:00
帰宅途中で信号も街灯も一切点いていない。
停電の範囲が思ったより広いことをここで認識する。

信号は使えなかったが、上手いこと譲りあって、事故はどこにも起きていなかった。
途中、橋と道路の段差が出来ていて、通行できない箇所があったので、警察の指示で回り道をして帰宅。

ここで勘違いしてほしくないのは、皆が安全運転だったかというとそうではない、信号を減速しないで突っ切る人やすごいスピードで追い越す人が沢山いた。
まぁ、これは茨城特有のDQNな人々かもしれないが。
事故が起きなかったのは、そういう人に用心していつも異常に安全運転していた人が多かったからだと思っている。

帰宅途中家の塀が崩れていたり、屋根瓦が落ちている家がたくさんあり、家の電気も点いていない。
道路はひび割れしているようなところはなかったが、橋は若干の段差があり、スピードを落とさないと危険だった。

18:00頃
帰宅して、自宅アパートのドアを開けると途中でなにか引っかかってドアが開かない。
下駄箱が倒れていてドアに引っかかっている。

下駄箱と格闘すること3,4分、ドアが開く。

まず、散乱した靴と転がっている灯油缶、定位置から2m程移動している冷蔵庫と落下してドアが開いている電子レンジが目に入る。

職場の状況より自宅の状況の方が酷い。
栃木よりも茨城の家のほうが揺れが大きかったのだと思う。

部屋の中は、割れた食器などがあり足元が危険だし暗いので、土足で入り状況を確認。
車の中に常備しているLEDのヘッドランプと懐中電灯LEDランタンが役に立った。

○アパートの部屋の主な破損状況。
・電子レンジが冷蔵庫の上から落下、恐らく壊れている。
・食器棚の扉が空いていて、割れた食器多数。
・ガスレンジがズレて、上に載っていたはずの味噌汁を入れた鍋がひっくり返っている。あたり一面味噌汁だらけ。
・鍋やヤカンがあちこちに散乱。
・リビングにあるテレビが転がっていて、その下に熱帯魚の水槽。
・水槽は割れて、魚が散乱(熱帯魚全滅)。絨毯は水浸し。
・衣装ケースがひっくり返っている

飛び散った味噌汁や水槽の水を拭き取ったりするので、1時間以上を要する。
その後破損した食器や家具を片付けるので、21時くらいまでかかってしまった。

相変わらず電気は通電せず。
通電しても通電火災が怖いので、ブレーカーとプロパンガスの元栓を閉める。

とりあえず、壊れた物をひとまとめにして、片付けを終える。
綺麗に片付け用にも水道も電気も来ていない状態では殆ど何もできなかった。

実家が心配だったので、連絡してみるも電話もメールも通じず。
メールは送信できても返信がないので、不安に。

翌日は会社を休むと決めて、福島の実家に向かうことに決める。

続く…



タグ:地震 停電
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コメント 2

HIRO

こんにちは。
(余震とか現在進行形ですが)被災大変ですね。

御仕事場で怪我人とか出なくて良かったです。
こういう生の体験を知る事で今後に役立てて行きたいです。
by HIRO (2011-04-11 07:07) 

木っ端ミジンコ

HIROさん

余震(余震と言えるレベルではないですが)が続くので、被災地やその近くのアミューズメント系施設は再開と再開してからの営業が難しいですねぇ。
踏ん張るしか無いんですけど。
by 木っ端ミジンコ (2011-04-13 21:30) 

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