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3.11の地震当日 [日々の出来事]

ガソリン残量は心細かったが、実家まではなんとか辿りつける残量だったので、アパートから100kmほど離れた実家に向かうこととする。

この時点では震災後の、ガソリンをはじめとする物不足に全く頭が回っていなかった。

アパートから実家へは
①国道118号線を北上
②国道118号線を少し南下して常磐道那珂ICから常磐道北上→磐越道西進→あぶくま高原道路

二通りの行き方があるが、高速道路は既に通行止めになっているとラジオでやっていたので、①のルートで向かうこととする。


町の灯りは車のヘッドライト以外は真っ暗な状態。
お店も閉店しているようだ。

交通量が少ないということもあるが、信号が無くても全く混乱は起きてない。

ただ、急いでいるのか、異常にスピードを出して追い抜いていく車両に何台か遭遇。
こんな時にスピードを出して、街灯が機能していない暗い中で歩行者の飛び出しや落下物等に当たって事故にあってもいつ救急車が来てくれるかわからないし、通報も出来ない。
急がば回れということわざを思い出す。
いま自分がとっている行動がどんな結果をもたらすのか想像することが大切だと痛感。
平時ではないのですから。

会社を出てから食べ物を口にしていなかったので、何か買いたいところだったが、自動販売機もコンビニもやっていない。
個人商店もシャッターを下ろしたままだ。

この時点では物があっても、地震の片付けで商売どころではなかっただろう。
電気も来てなかったしね。

袋田の滝入り口の交差点にさしかかると車のライト以外の光が見えた。
信号だ。

何故かこの信号だけ機能していた。

信号が機能していることで、大子町の町で買い物ができるかと期待したが、町に灯りはなく、電気が着ているのはあの信号一つだけだった。

県境を超えて福島県矢祭町に入ると、家に灯りが付いているのが見える。

県境が通電しているところと停電しているところの境目だったようだ。

棚倉町に入ると、コンビニもガソリンスタンドも営業していた。

サンドイッチでも買いたい気持ちがあったが、実家まで30kmと迫っていたので、先を急ぐ。

実家に近づいても電気は普通に供給されているようだった。

お店も営業しているところが多い。

国道は橋との境目で陥没しているところがあり、法定速度でそのまま走っていると車の底を打ちそうなところもあったが、走行できないような箇所は無かった。

実家に着く途中で通行止めになっている箇所は1箇所。
福島県石川郡の母畑ダムの周りを走っている県道だった。

町か国道事務所の職員と思われる男性2人が交通規制を行っており、「通れない?」と聞くと、道路の法面が崩壊していて危険な状態とのことだった。

回り道を考えるが、どう考えても30km以上遠回りになる。
この時点で燃料系の警告灯が点く。

ナビで最短距離を検索するもやはり思ったとおりの30km以上の遠回りルート。

ガス欠になることはないだろうが、棚倉のGSで給油しなかったことを後悔する。

非常時には買える時にガソリンも食料も買っておいたほうが良いという教訓。
(もちろん自分が必要な分だけね。必要以上の買い占めは混乱を招く)
そして、遠出するときは携行缶は必須だと思った。
家には何故か20Lのガソリン携行缶3缶と800ccのFuelボトルがあったのに置いてきてしまったた _ト ̄|○…

ここでグダグダしていてもしょうがないので、車一台分しか無い幅の狭い回り道をナビに従って実家へ向かう。

ガソリンを入れたいが、時間が遅いからかどのGSも営業してない(T_T)

だが、なんとかガソリンは持ち、ガス欠すること無く実家に辿りつけた。

実家の様子は夜だったのでよくわからなかったが、庭に落ちて割れた瓦が山盛りになっていて、既にブルーシートで屋根が覆われていた。

地震が起きてから数時間でよくここまで片付けたものだ。

家に入ると、電気も点いていて、いつもの様子と変わらない。

帰ったことを家人に告げると、「来るの明日じゃなかったの?」とびっくりされるが、帰る旨連絡していたメールは通信規制で届いてなかったようだ。

携帯のアンテナは3本立っているんだが、通信事情は悪いらしい。

とりあえず家が倒壊して無くてホットしたものの、食器が割れていたり、本棚が崩れていたりと揺れの大きさが感じられる。

とりあえず、人が通行するスペースと寝食するスペースを確保すると、テレビで状況を確認。

この時に初めて、宮城や岩手の津波の様子を見た。

田畑が津波に襲われたり、火災になっている様子を見て、この地震の被害が阪神大震災以上の物だと実感できた。

ラジオだと言葉では伝えてくれるものの、実感として分かりにくかったからだ。

ただ、テレビは惨状を伝えるだけで、被災者に有益な「何処に避難所があるか、何処に行けば物資があるのか」という情報は皆無だった。その点ローカル局のラジオは早くから被災者が必要としていた情報を提供してくれていた。
電池式や自分で発電できるラジオは一家に1台は必須だと思った。
我が家には2台トランジスタラジオがあったので、だいぶ助かった。

実家は電気、ガス、水道すべて問題なく使えて、温かい御飯と味噌汁、おかずが出てきた。

茨城のアパートでガスしか使えなかったことを思うと涙が出るほど嬉しかった。

ライフラインがすべて使える地域もあれば、30kmも離れていないいわき市では津波に襲われている地域もあったりして、本の僅かな距離、標高の差が被災状況の大きな違いを生んでいた。

余震は車に乗っているときは気づかなかったが、短いスパンで震度3程度の地震が頻発する。

安全を考えて、今に家族揃って布団をしいて寝ることとした。
詳しい被害状況の確認は明日明るくなってからだ。

続く…















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HIRO

こんにちは。
御実家迄の長い道のりお疲れ様でした。
日頃から備えていないと、後手後手に回りますね。

今回、高速(東北道)の通行止めが早すぎたり、解除が遅れたのが問題になってますね>責任逃れ??
by HIRO (2011-05-16 23:38) 

木っ端ミジンコ

HIROさん
いつも、コメント&nice!ありがとうございます。

なんだかニュースでは不信任案提出とそれが可決さえそうな勢いだと伝えていますが…。
次の総理はさぞかし有能で何でしょうねぇ。

福島の視察に対放射能フル装備で視察に来て、普段着の被災者と握手するのに手袋も外さないような枝野や岡田が適任とも思えませんしΣ(´ⅴ`;の)


by 木っ端ミジンコ (2011-06-02 00:37) 

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